イギリスEC加盟問題

1967年5月、ウイルソン英首相は欧州共同市場EECヘの加盟申請を行うと発表しました。イギリスは、61年10月からEEC加盟の予備交渉を始めましたが、ナッソー協定において米英の特殊関係を再確認したことがドゴール仏大統領の反感を買って、63年1月加盟交渉は頓挫しました。67年6月のウイルソン・ドゴール会談でも加盟の見通しは得られませんでした。67年10月のEEC理事会ではフランスは再び即時加盟交渉に反対しましたが、ドゴール退陣後、イギリスの加盟間題は再び活発となり、69年12月のハーグ首脳会談によって、共通農業政策の一括取決め調印、ECの完成を条件に、イギリスなど四力国との加盟交渉に入ることが確認されました。しかし加盟実現の前提としてイギリスは、英連邦、農業、過渡期間等の間題についてEC側の主張に歩みよらねばなりませんでした。71年6月、EC閣僚会議でイギリスのEC加盟が決定しました。これにより73年1月1日からイギリス、アイルランド、デンマークの3カ国を加え計9力国、人口2億4千万人の拡大ECとしてスタートしました。イギリスは加盟後5年間の過渡期間において、すでに域内関税を全廃し、域外聞税を一本化しているECに段階的に近づくことになりますが、食費を中心とする物価高騰を恐れて加盟に反対する声が国内に強くありましたが、ヒース保守党政府は72年2月から夏にかけ議会で加盟関係法案の表決に少差ながら勝ちました。その際与党保守党の反乱グループが提出したEC加盟の是非を問う国民投票実施の動議と、野党労働党提出の総選挙実施動議はいずれも否決。この対決をめぐって労働党はジェンキンズ副首相らEC加盟派が党公職から辞任するなど分裂状態となりました。

冷戦時の欧州

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