シェールドクトリン

東方政策の展開に当って、ブラント政権の東ドイツに対する立場は、シェール外相の名を冠したシェールドクトリンで代表されます。つまり、両ドイツの関係は、独立した二国間のそれではなく一つの長族の中に二つの国家があるという特殊なものだとしています。ブラント首相は70年5月の第二回東西ドイツ首相会談で、東ドイツは外国ではないという立場からこれを他国家として国際法上の承認を与えることは、あくまで回避しながら、個々の間題を一つ一つ解決することによって両国の関係正常化をはかることを目指した20項目の積上方式を提案しました。しかし、米英仏ソ四大国が71年10月仮調印したベルリン四大国協定にはドイツ民主共和国という正式呼称が随所に使われるなど、西側は東ドイツを事実上承認しており、これはやがて西ドイツヘの圧力となってはね返ることは明らかであり、事実、72年未の東西両独基本条約の調印で、東西両独の国連同時加盟の方向に進むなど、東独は国家として事実上認められた形となりました。

冷戦時の欧州

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