参加する社会・新しい社会

フランス語で参加するというパルティシパシオンという言葉は、1968年5月のフランスの社会危機後、ドゴール仏大統領が危機解決の一つの方式として言い出して流行語化しました。具体的には大学間題で、学生の大学運営への参加、社会労働間題で、労働者の経営への参加が取上げられました。学生の大学運営参加については、フォール文相の大学改革案で、政治活動は厳しく規定されたものの、ある程度実現しました。労働者の経営参加については、67年8月に、ドゴール大統領は、労勘者の企業利潤離分への参加を認める政令を出したのに続いて、具体案を検討中に退陣してそのままになりました。参加構想は、元々ドゴール陣営左派によって強力に支持されてきましたが、ドゴール退陣により全般に後退しました。
ドゴール路線の継続のなかの開放を標傍するポンピドー大統領のもとで、初代首相となったシャバンデルマスは69年9月、新しい社会建設のための基本方針を発表し、大学の再編、地方行政の再編、社会投資の促進、農業共同市場の完成、中小型企業の集中化、労働者の企業参加、給与・労働条件の改善、等を柱とする一連の政策を明らかにしました。左翼陣営はさっそくこの新しい社会構想を、大企業中心、日陰の企業労働者切捨ての近代化政策だと批判しました。しかし70年10月、シャバンデルマス首相は、これらの政策の一年間の実績と今後の遂行をめぐって国民議会で施政方針演説を行い、庄倒的信任を受けました。

冷戦時の欧州

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