ラパッキー案

ラパッキー案はポーランドのラパッキー外相が提唱した、中欧核兵器非武装地帯案です。1957年10月の国連総会で提案され、北大西洋条約機構首脳会談の、開会直前の12月9日、ワルシャワ駐在の米英仏三国大使に手交した覚書の中で、改めて提示されました。ポーランド、チェコ、東ドイツの三国は、ワルシャワ条約加盟諸国の承認のもとに、三国領士内で核兵器を生産、貯蔵してはならず、また核兵器に役立つ施設、資材を置かないことを警い、同時に、西側陣営も西ドイツに同じ措置をとることを保証するよう呼びかけたものです。ブルガーニン・ソ連首相が57年12月10日の第一回書簡を皮切りとして、西側諸国首脳に送った、巨頭会談提唱の中心的な間題もこの核兵器非武装地帯案でした。58年1月11日にグロムイコ・ソ連外相がこの案のイタリアへの適用を提唱し、1月21日には中東地帯の核兵器非武装化も提唱されました。これに対して、西側は消極的で、58年1月12日のアイゼンハワー米大統領の返書では、核兵器の発展で小地域の核非武装化無意味になった、と退けられました。2月14月には、ラパッキー外相から、より具体的な交渉開始を呼びかけた覚書がアメリカ、イギリス、フランス、ソ連、チェコ、東ドイツ、カナダ、ベルギー、デンマークの大使に口上書とともに手渡されました。これは新たに関係各国政府の一方的宣言で実施してもよいことを提案し、2月19日に政府も同案の支持を声明しました。その後西ドイツがラパッキー案受入れを拒否しましたが、4月12日ポーランド、東ドイツ、チェコの三国外相のプラハ会談は、これを非難するとともに同案の推進を行う旨の共同コミュニケに調印しました。

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