多角的抑止力構想

多角的核抑止力構想とはアメリカが同盟諸国にたいしポラリスの供与を提案し、西欧核戦力の主体をポラリスミサイルと西欧自製の爆撃機あるいは潜水艦とミサイルとし、これらをNATO軍の配下に置き、多角的に管理するという構想です。多角的な管理は核戦力の使用時、攻撃目標の選定などはNATO加盟国の会議によって決めるが、最終決定権は一人の責任者に与え、会議制の委員会付託としないとするものでした。この構想によれぱ、同盟諸国内の自力による核兵器開発が抑止され、その結果は核兵器拡散防止政策ともなるとされ、マクナマラ米国防長官の考え出した新戦略でした。これに対してドゴール仏大統領により、西側の核戦力をアメリカが独占する意図だ、との批判と拒否が表明され、同大統領はこの構想をイギースが受入れたのをきっかけに1963年1月29日、EECへのイギリスの加盟を拒否しました。こうした事態に対しラスク国務長官は63年10月26日アメリカはNATO多角的核戦力の創設に関する現在の計面の修正を考慮する用意があると明言し、NATO諸国の説得に努めたが、結局NATO核計画委員会の線で落着きました。

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