仏ソ共同宣言

1966年6月、ドゴール仏大統領はソ連を訪間し、コスイギン・ソ連首相をはじめソ連首脳と会談し、バイコヌールのソ連宇宙基地などを見学しました。この訪間は欧州における緊張緩和の象徴的事件とされましたが、この訪間終了に当って同年6月30日に出されたのが第1回仏ソ共同宣言でした。その要旨は、仏ソ両国はクレムリンとエリゼ宮の間に直通通信線を設置することに同意しました。ペトナムについては外国の干渉を排除し、1954年のジュネーブ協定にもとづいて解決する。欧州安全保障間題ではドイツ問題について仏ソ首脳は意見を交換したというものでした。この後66年12月、コスイギン首相はパリを訪間し、70年10月、モスクワを訪間したボンビドー仏大統領はポドゴルヌイ・ソ連最高会議幹部会議長との間に仏ソ議定書、共同宣言に調印しました。この第二回仏ソ共同宣言によって、毎年二回外相級定期協議を行う。平和に対する脅威として、国際間の緊張が生じた場合には面国は直ちに接触する等が取決められました。ドゴール大統領の訪ソは緊張緩和の先駆けとして全世界の注目を浴びましたが、それに比ぺれば、ポンビドー訪ソは、ブラント外交によるソ連・西ドイツ接近によって立遅れぎみのフランスの対ソ外交巻き返し、という意義はあるものの、外交的にははるかに地味な成果しかあげ得なかったとされていました。しかし、73年、西ドイツ、アメリカを訪聞したブレジネフ・ソ連共産党書記長は、最後にフランスを訪れて、ポンビドー大統領と会談し、フランスの面子を立てました。

冷戦時の欧州

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